マイスターのDNA
MOST EXCELLENT各自がスター、主役であれ
至る処に主体となり、企業が担う使命に応え、
善き家庭をつくり、善き会社をつくり、善き社会をつくる。
経営の基本は「人間主義」。
企業人である前に、一人の人間であれ。
その日の朝は・・・
昭和44年2月1日。
現マイスターエンジニアリング創業の日の朝は、空はどこまでも青く、澄み渡り、あたりには大寒の冷気が厳しくみなぎっていた。大阪駅よりほど近い福島の間借り事務所の片隅に置いた「スチールデスク」と「黒電話1本」が会社の全財産でもあった。
“縁あって集まったみんなの会社を作りませんか”との呼び掛けに応じて参集した若者の持つものと言えば、「一人前のメンテナンス技術者になりたいと志す道なきところに道を拓こうとの『アントレプレナー精神』」が横溢した路仿の石が如くの面々である。
顧みれば、今より45年前にさかのぼること、創業者の平野(現:会長)が満26歳を迎えた早春のことであった。
“縁あって集まったみんなの会社をつくりませんか。”
昭和42年当時、ホテルオークラ東京で電気主任技術者として施設管理の仕事をしていた平野は、当時毎週のように「電気技術者」の求人を出している現マイスターエンジニアリングを訪れ、後の社長になる当時の常務に「縁あって集まったみんなの会社をつくりませんか。」と声を掛けられた。東大紛争など激しく労使が対立する混乱した時代背景の中、このような問いかけをしてくれたことに大変感銘を受け、平野はこの言葉をきっかけに入社を決意。
超高層ホテルプラザの設備管理「アウトソーシング」を受託
昭和44年10月10日、日本初の万国博覧会、大阪万博が開催される前年にホテルプラザはオープンした。地上23階建て、当時東洋一の超高層ホテルであったホテルプラザの施設管理は、自社で行うという業界の常識を破り、現マイスターエンジニアリングにアウトソースされた。
そして、施設責任者として着任した平野は「超高層ホテルプラザ、若い技術者募集」というキャッチフレーズで各新聞に求人広告を出し、若き技術者32人でスタートしたのである。
若い技術者集団
ホテルプラザで働く若い技術者たちは、白熱した議論を交わしながら、何とか期日までに仕事を終わらせた。
そして、通産省の検査も通り、平野が受電のスイッチを入れた。スイッチを入れると、ドスーンと大きな音が響いた。高電圧真空遮断器が投入され、始めてトランスがブーンと唸りを上げる。
親指に伝わった心地よい振動、その時感じた感動は、平野にとって今でも立ち返る原点になっているという。
株式会社マイスターエンジニアリング
代表取締役会長 創業者
平野 茂夫
COMPANY NAME & LOGO 社名の由来とロゴの意味
社名の由来
マイスターエンジニアリングの社名の由来は 「MY STAR」 。
そこには、「各自がスター、主役であれ」という熱い思いがこめられています。
志を持つものが集まり、切磋琢磨しながら人格とスキルを磨いて成長し、光り輝く。
そして、一人ひとりが自ら未来を拓いていく。会社はそんな人間形成の場として、全員を全力でサポートしていきます。
ロゴの意味
赤はME人の誇りと情熱を、グレーは高度な技術と知性、豊富な経験を表します。
あわせてこの2色は、動と静、そして日々新たなる行動力と深い人間性をそなえたパーソナルアイデンティティを追求しようとする、
ME人の人間形成と人生への熱きロマンを象徴しています。